みなさん、こんにちは!

 

桜の木々もピンク色から緑色へと変わってきましたね。

そんな季節の移ろいを去年の自分とは違う心境で感じている玄殊堂の花輪君こと相台です。

 

そろそろ花輪君ネタも定着してきたのではないでしょうか?(笑)

飽きたとか言わないでくださいね(´;ω;`)

 

 

 

先日家の近くを歩いていると遅咲きの桜を見かけまして写真を撮りました。

写真の下手さは置いておきまして(笑)

 

 

家に帰り、ふとこの写真を見たときにあっ!これも陰陽だなと思ったんですね。

 

葉っぱが陰で花が陽(感覚的にそう思いました)

相互に助け合い調和している状態。

こんな桜が私は好きです(/・ω・)/

 

 

世の中のことはすべて陰陽で説明できると院長はよく言われます。その言葉が心に残っていたから今年の私はそう思えたのでしょう。

 

 

タイトルにも書きましたが、「気づき」というはとても大事なことです。

 

人は自分の認識のできる範囲で物事を考えます、そして「気づき」は認識の幅を広げてくれるものではないかと考えています!

 

去年の10月より玄殊堂でお世話になり始めてからは「気づき」を多く与えていただいており、自分の認識の幅が広がってきているように思います。

 

そして最近では23歳の私は陶芸でいうところの成形の段階ではないかなと勝手に思っています(笑)

 

陶芸には大まかな手順があり、成型→釉薬(色付け、絵付け)→本焼き→仕上げという具合で陶器は出来るのですが人の心(器)も同じではないのかなと思っています。

 

陶器にも色々な形がありますよね。口が広く底の浅いもの、口が狭く底の深いものなど様々です。これを自分の器に置き換えたとき口が広く底が浅い器は、人の話や人の考えは分かるが深く考えたり学ぶことの出来ない人。口が狭く底の深い器は、深く考えたり学ぶことはできるが人の意見や考えを受け取れない人。柔軟な考えや人の意見を聞き、自分でも実践の出来る人の心は口が広く、底の深い器ではないかと思います。

 

 

 

「気づき」があることで認識の幅が広がり、さらに深く学ぶことが出来る、そして学んだことを実践し続けることで自分の色が付き(釉薬)、器となっていくのではないでしょうか。

※あくまで個人の考えです(笑)

 

そして立派な器を作るには、常に自分の限界に挑み、認識の幅を大きくしていかなければなりません。

 

孫子の兵法にこのような言葉があります

「火をもって攻を佐(たす)くる者は明なり」

この言葉はより良い方法を常に考えるという意味で、この前はこれでいけたから今回もこれでいいやということはせず、前回より良くするにはどうしたらいいかを考え行動する、そうすることで前回よりも成長できるということです。

 

花輪君もつねにこの言葉を胸に、頑張っていきたいと思います(・ω・)ノ

 

花輪君の成長を乞うご期待ください!!

 

 

それでは恒例の

 

アディオスヽ( ´―)ノ フ